こんにちは。
京都の夏、あああ暑ーーーいです💦🥵☀️
4日ぶりにアトリエへ入りました。日中来られない日は、日が沈んで暑さが和らいだ夜に、お花たちに水あげに来ています。花たちもこの暑さの中、がんばって咲いています。左のカジュマロの木は、10年前は手のひらにのる小さな木でしたが、今ではすっかり野生化?したようです(*´-`)

さてさて、今日はお昼ご飯を食べに家に帰る予定があるので、絵の具は出さずに、読書デーにしました。パレット🎨も、今日は休業です。


二十代のころから、いや、小学生の頃から、心に響いた言葉などを書き留める癖があります。隣のおじさんの話から、巨匠の話、新聞記事やいろいろもろもろです。
そんな中、やっぱり絵画関係のものがかなりあって、その時々の師匠の教えを、〇〇語録、〇〇〇語録、巨匠だとマチス語録、ピカソ語録かんて書き記して来ました。
10年ぶり、20年ぶり、30年ぶりに読み返すたびに、そうそうそう! そうなんだ!!とうなづきます。
「実際に見た風景を、絵として見せたい風景に描くこと」
「絵は画面という平面上での仕事で、その画面の上での構図がある。そう簡単に、目の前に見えるところをでたらめに区切ったらいいというわけにはいかない。その画面にだけで成立する世界(構図)、それが肝心」
「物体を規定するために色彩を使うのではなく、色のさまざまな組み合わせや、調和の中にある輝きの強度のために色彩を用いる」
「時間がない、アトリエが狭い、すべて言いわけ。画家の敵は、自分のまずい絵だけ!」
などなど、もろもろです。
いざキャンバスに向かって絵筆を持っているときは、実はほとんど無意識で描いています。
その証拠?に、60分のCDをかけていても、最初の一曲、または二曲めくらいまで何となく音を聞いているのですが、その後は音が耳に残らず、気づけば終わってしまっています。だから、私は描く時は、かっこよくいうと五感すべてを集中させないと描けません。それでいい絵が生まれたら幸いなのですが、これがねぇ、そう思うようにはいかないのです。
でも、なんのせいでもなくて、向かうはやっぱり自分の絵だけ、そう、まずい自分の絵だけが敵なのです。
ということで、また気を入れ直して描くことにしましょう。